走死走愛死天流

白くても、黒くても、わたしはわたし。

永遠

学生時代を思い出していた。

毎日のように映画をいくつも観て、様々な感情を抱いていたあの頃。

いまよりもずっと思考がぐちゃぐちゃで、けれども、買ったばかりの果物のように新鮮で豊かな香りをもっていたように思う。

なにも考えないという状態を知らず、頭のなかにはいつも洪水のように言葉や感情で埋め尽くされていた。

激しい感情にときに振り回されながらも、映画を観て、本を読んで、音楽を聴き、おいしいごはんを食べる。

泣いて、笑って、また泣いて。

そういう風な生活が、命尽きるまでは永遠に続くような気がしていた。

近頃、もとい夏の終わり頃からだったろうか。

わたしは、ついに白紙を手に入れた。

これは喜ばしいことではなかった。

あんなにも溢れていた言葉や感情は、どこに消えてしまったのだろう。

空っぽになってしまったようで怖かったけれど、白紙の状態のわたしはその恐怖さえ感じなかった。

ときどき、なにかの拍子にまっさらのわたしになっては、ふと我にかえり戸惑った。

幼稚園の頃、担任の先生が「感受性の強すぎる子なので気をつけてあげてください」と母に言ったらしい。

その感受性に苦しめられてきたのも確かであるが、救われてきたのもまた間違いではなかった。

なにが原因か、どうも "わたし" という存在がよくわからなくなってしまった。

わたしはどうしたいのか、なにを考えているのか、感じているのか、わからない。

進路を決めなくてはならない高校生のような "自分がどうしたいのかわからない" のではなく、視界に靄がかかっているようでもなく、冬の朝の澄んだ空気のような、そんな感じなのである。

永遠だと信じていた愛にすら、問を投げかけてしまう。

でも、きっと、愛は一生消えない。

増えたり減ったりしながら形を変えていくのだろう。

今日、久しぶりに二本も映画を観た。

やはり、受け取ることのできたものが以前より少ないように思うけれど、楽しむことができた。

いまこれを書いているわたしも白に近づいてきているようで、上手く頭が働かない。

これから、わたしはどうなっていくのだろう。

とにかく、ひとつだけわかったことは、どうやら永遠はあるらしいということだ。