走死走愛死天流

白くても、黒くても、わたしはわたし。

蛾の味

わたしは毎日いくつもの夢を見る。

夢の内容はだいたい覚えているが、なかには思い出せないものもあり、それがどんなものであったのか非常に興味をそそられる。

人間が覚えている夢と忘れてしまう夢にはなにか傾向があるのだろうか。

わたしは中学生の頃、夢日記をつけていたことがある。

明晰夢を見られるようになりたいといういかにもな理由から始めたものだったが、毎日時間をかけて夢の内容(五感の有無まで)を細かくノートに綴ることを、半ば趣味のように楽しんでいたように思う。

右手に鉛筆を持ち、夢の細部を思い出していくと、ぼやぁっとした曖昧な模様が、次第に鮮明な形になっていくような、そんな快感があった。

結局、一度だけ明晰夢を見ることができた。

なんだか怖くなり、やめてしまったが。

昨日、夢のなかで蛾を食べた。

詳しくは思い出せないが、場所は実家で、なにかの拍子に口内に異物が入り、押し寄せる不快感に目がぐるぐると回った。

潰してはいけない気がして、わたしは目に涙をためながら、きちんと口内に空気を保っていた。

異物の正体を確かめるため、一階のトイレ前の鏡に向かうと、嘔吐するように舌を出した。

そこには、数匹の白い蛾が羽をたたんだ状態でとまっていた。

必死に吐き出そうとするも、生きているのか死んでいるのかもわからないその蛾たちは舌にまとわりついたまま。

その先は思い出せない。

少し場面が変わり、今度は紙箱のなかに大きな白い蛾がしまわれていた。

とても美しい、立派な蛾だった。

わたしはそれを何故か食べてしまった。

味はわからないが、言葉に表せないあの食感だけは覚えている。

さて、夢日記を書いていたことがあると前述したが、これには夢をよりリアルにするという効果があった。

毎朝目が覚めると、そもそもの五感の有無やどれくらい強く感じられたか、それはどんなだったかなどをとにかく細かく記録していくのだが、始めたての頃の夢では、嗅覚・味覚・触覚はほぼ感じることができない。

しかし、夢日記を続けていると徐々に感じられるようになっていく。

もう一度言う。

わたしは怖くなってやめてしまった。

あのとき、やめてよかったと心から思う。

もし続けていたら、昨日の蛾に味も感じていたかもしれない。

この世の中には、知らなくていいこともあるのだ。