走死走愛死天流

白くても、黒くても、わたしはわたし。

大人になる

大人になる、とはどういうことだろう。

諦めることなのだろうか。

我慢することなのだろうか。

もし、そうなのだとしたら、とても悲しいことだと思う。

大人になるとは、大人にならざるを得なかった場面でなるべく綺麗に強がり続けた結果なのかもしれない。

聞いたら、生きているのが苦しくなるような言葉、顔やからだにメスを入れたくなるような言葉、眠れずに朝を迎えるような言葉、そんな猛毒のような言葉はたくさんある。

それらをその場だけ笑ってやり過ごすことは得意だ。

ひとりになってから散々泣くことになっても、人前ではいつもただヘラヘラしていた。

わたしが傷ついていないフリをすれば、空気を腐らせずに済むことなど想像に容易いから。

毒は徐々に心を蝕んでいく。

己も気づかぬうちに、深いところまで根を張っていく。

浸食されたわたしはよりいっそう弱くなる。

その弱さが降りしきる雪のように積もっていき、ほんのひと握りで強い弱さになる。

いままで平気だった言葉にも敏感になり、ふとした拍子にどろどろの血反吐を吐く。

ばかみたいだ。

自分の発した嫌な言葉に呆れ、わかるはずのない相手の気持ちを憶測で判断し、泣き出したくなるほど後悔するのだから。

耐え続ければ、自分のなりたくない自分になってしまうけれど、毎回感じたことを素直に表せばいいわけではない。

女のくせにだとか、生意気だとか、小娘が調子に乗るなだとか、わたしはそんな風に怒鳴られたら息ができなくなるし、涙を止めることすらできなくなってしまう。

そんな片手で捻り潰せそうな可哀想なわたしは、我慢して笑って流していれば大人だねと褒めてもらえることも、ばかな女の子を演じていれば可愛がってもらえることも知っている。

結局、わたしが我慢することがいちばん楽で、マシなのだ。

しかし、そうしていると、ときどき本当にひとりぼっちになりたくなる。

いっそ死んでしまいたいような、だれもいないどこかへ行きたいような。

ざらざらとしたものを抱えて、大人になったり、なれなかったりしながらなんだかんだ生きていくのだろう。

大人になる、とはどういうことなのだろう。

今夜はきっと、樹海のような夢を見る。