走死走愛死天流

白くても、黒くても、わたしはわたし。

「あの娘の曲さ」

どこかのバンドマンが歌うラブソング。

だれかが言う。

「その曲いいじゃん」

バンドマンは答える。

「だろ、あの娘の曲さ」

わたしもなりたいな。

どこかのバンドマンが矢印を向けるその女の子に。

わたしもなりたいな。

あー、わたしもなりたいな。

だれでもいいよ。

身も焦がれるような恋をして。

わたしで曲作れちゃうくらいさ。

なんちゃって!

いつだって欲しいのはあなたからのアイ・ラヴ・ユーだけ。

 

 

 

 

 

貧しさとは

雨の香りがする。

なんとか用意した六万円を入れた財布代わりのポーチを片手に、外を眺めながら、ふと昔観た映画を思い出していた。

「秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」

実りの秋は過ぎ去り、冬の終わりも近づいた今日この頃。

まるで季節は違うが、この短歌が浮かぶ。

貧しさとはなんだろう。

金と心は密接だと、最近身に染みて感じている。

本来豊かな心を持つ者も、寂しい懐に引き摺られ、やがて錆びていく。

真っ暗闇のなかに取り残されてしまったような不安や焦燥感。

そして、身も心もぼろぼろになり、ふらふらと途方もなく歩く毎日。

しかし、出口のないトンネルはない。

進み続けていればやがてぼうっと光が見えてくるものだ。

その光が次第に鮮明になり、重く湿った空気も次第に薄れていく。

外に出たとき、済んだ空気とともに深く、深くタバコを吸おうじゃないか。

大丈夫。

大丈夫だ。

釘を舐めてから打ち込むように、錆びは強さにもなるとわたしは思う。

金のない状況がいかに厳しく、苦しいかを知っているからこそ、ひとに優しくできる。

きっと、わたしもあなたもだれかに助けてもらったはずだ。

そうやって世界はまわっている。

心に余裕がないとき、不本意ながらだれかを傷つけてしまうこともあるだろう。

親しいだれかの冗談が、冗談で済まなくなってしまうこともあるだろう。

それが原因ですれ違ってしまうこともあるだろう。

そんな自分に嫌気が差してしまうこともあるだろう。

でも、大丈夫。

切れた糸は結び直せばいいのだから。

いままでとは違う形かもしれないけれど、何度でも結び直せばいい。

これは、冒頭の映画で学んだことだ。

いま、わたしは貧しいかもしれない。

それでも、まだ大丈夫。

こんな冷たい雨の日でも、換気扇の下でタバコを吸いながら黄昏れ時に浸ることができるのだから。

潤っていたい

たまごがたくさん詰まった二割引きのカレイをカートに入れ、あれやこれやとスーパーを物色していると、野菜コーナーでキャベツを見ていたおばあちゃんが袋を開けるのに手こずっている場面に遭遇した。

「やりましょうか?」

と声をかけると、申し訳なさそうに、それでいて安心したような笑みを浮かべて、彼女は半透明の緑色をしたビニール袋を差し出した。

わたしの手は緊張しやすい性格のせいか、いつも湿っている。

袋を開けるのは容易かった。

おばあちゃんは世間話をしながら、若い子は潤いがあっていいわねなんて笑っていたけど、少し悲しそうに見えた。

わたしから見れば、この手のひらの水分は煩わしい湿り気でしかないが、おばあちゃんから見ればもう失われてしまった潤いになるのだろう。

話は変わるが、わたしもこの"潤い"を求めているような気がする。

鬱に呑まれて次第に荒んでいく生活、日々を惰性で過ごしていると、からだが乾いていくような感覚に陥る。

からからのミイラになってしまうような。

わたしは花の名前を持って生まれてきたけれど、花のように美しくはいられない。

枯れても美しいままではいられない。

きっとこの乾きを止めるために、濁ったコップから喉を鳴らして水道水を飲み、男に抱かれているのだと思う。

口の端から流れる川、どこかの穴から溢れ出る愛、むしろ綺麗な潤いを失っていっているのかもしれない。

でも、乾きたくない。

結局のところ、わたしは美しくありたいわけではないのだろう。

ただ、潤っていたいのだ。